養蜂・ミツバチ書に見る甘露蜜の情報です。

 

明治期の養蜂書の出版は40冊以上、大正期も40冊以上、昭和期は戦前20冊以上、戦後は50冊以上です。その中で“甘露蜜”に関する記述のある書はわずか数冊です。“甘露蜜”に関する解説も “甘露”、“甘露蜜”と言う用語もなかなか出てきません。

 

 

徳田義信『蜜蜂』(丸善、1913)

 

本書は100年以上前の古書ですが、542頁に次のような記述があります。

“其他欧州にも山蜜(Waldhonig)と称し、山地に於て生産せらるるものにして暗色樹脂様の味を有するものあり。其の凝固せるのもは淡褐色を呈し、粗大にして分極光面を右施す。”

この記述が甘露蜜に関する日本の養蜂書最初の言及と思われます。ドイツのメルヒャー華代子さんにお聞きしたところ “wald”は「森」を指すことばで、山は“berg”。 “waldhonig” は「森のはちみつ」のこととのこと。

waldhonig”は、ドイツの甘露蜜の一般的な表記のようです。この他に “tannenhonig” という表記がありますが、これは「モミ(の木)のはちみつ」です。”kieferhonig”「松(の木)のはちみつ」と言うのもあります。

徳田義信『蜜蜂』には“甘露”、“甘露蜜”と言う用語は出てきません。

 

 

 

畜産文化社編『畜産文化』1(3)(畜産文化社、1946

 

『蜜蜂』の33年後の1946年に“甘露蜜”という用語を使用した人物がこの時期、存在します。中河原親一氏です。氏については詳細はわからないのですが、畜産文化に投稿した記事のタイトルが「何処に甘露蜜を求める?」なのです。関東圏での季節ごとの蜜源調査なのですが甘露蜜源はでてきません・・・。見つからなかったということだと思います。

 

 

 

関口喜一『日本の養蜂植物』(柏葉書院、1949

 

2123頁に、甘露蜜について次のような記述があります。

“甘露蜜(Honey dew honey)とはアブラ虫、白蠟虫、貝ガラ虫等の種々な昆虫が樹に多数群り附いて、その樹液を吸い、それを排泄したものを蜜蜂が集め巣に貯えた甘い液体のことであある。甘露蜜は時には植物の葉や地上に露雨のように水滴をなしておちるほど多量に出ることがある。ハワイ島から年々400トン以上の甘露蜜が船で積出されるが、この大部分は甘蔗につく葉ジラミからとれたものである。この甘露蜜は黒味をおびたコハク色ですこしネバネバしている。(中略)甘露蜜はその植物の種類と又その昆虫によって成分が一様ではない。甘露蜜は新鮮なものが貯蜜されると甘くて風味もよく、外国ではパン製造用として普通の蜂蜜よりかえって歓迎される。(中略)甘露蜜と蜂蜜の区別の仕方は施光器にかけ、光線により左施するものは蜂蜜で、右施するものは甘露蜜である。わが國における甘露蜜は主に北海道、東北地方の1部にみられる(カラマツに多い)。”

 

本書は徳田義信『蜜蜂』の出版の36年後の昭和24年(1949)の出版です。先行研究の『蜜蜂』の成果を引き継ぎ発展させていますが、甘露蜜に関しては特別にその記述内容が深まっています。中略部分には甘露を出すアブラムシについての生態や甘露蜜の成分の特徴などが詳しく解説されています。

『蜜蜂』では“甘露(honeydew)、甘露蜜(honeydew honey)は用語としては登場しませんでしたが、本書では頻繁に登場します。 

 

『蜜蜂』の“分極光面を右施す。”との記述は本書では“甘露蜜と蜂蜜の区別の仕方は施光器にかけ、光線により左施するものは蜂蜜で、右施するものは甘露蜜である。”と丁寧に解説されています。

『蜜蜂』の“欧州では”との甘露蜜の産地紹介は本書では身近な“ハワイ”の例が取り上げられ、加えて“北海道、東北”の例が取り上げられています。

 

 

 

井上丹治『蜜源植物綜説:養蜂必携』(アヅミ書房、1954

 

49頁に甘露蜜について次のような記述があります。

“甘露蜜(Honey dew)はアブラ虫、白蠟虫、カイガラ虫などが植物の芽、樹枝につき、その樹液を吸いそれを排泄したものを蜜蜂が巣房の中に貯えたものであある。甘露蜜は右施性で風味に乏しく色は黒味を帯び品質はよくない。蜂蜜に比し転化糖が少ないが、蔗糖、糊精がひじょうに多い。甘露蜜は主として秋期に採収されるから注意を用する。なぜかというと、甘露蜜は冬期結晶し易く蜜蜂は吸蜜不能におちいり、ついには餓死するおそれがあるからである。”

 

本書は徳田義信『蜜蜂』の41年後、関口喜一『日本の養蜂植物』の5年後の出版です。先行研究者徳田義信博士に対するリスペクトを随所に感じます。48頁でも先行研究について言及があり、49頁の甘露蜜に関する記述も『蜜蜂』の記述を踏まえたものといえます。さらに、関口喜一『日本の養蜂植物』をも先行する研究著書として参照しているといえます。

 

“甘露蜜は新鮮なものが貯蜜されると甘くて風味もよく、外国ではパン製造用として普通の蜂蜜よりかえって歓迎される。”との関口氏の記述に比べて

”甘露蜜は右施性で風味に乏しく色は黒味を帯び品質はよくない。蜂蜜に比し転化糖が少ないが、蔗糖、糊精がひじょうに多い。“との記述は一見、ネガテイブな記述に思えますが、そうではなく、甘露蜜の特質を語り養蜂管理上の注意について論じようとしているのであって、以下に、このようにつながっています。“甘露蜜は主として秋期に採収されるから注意を用する。なぜかというと、甘露蜜は冬期結晶し易く蜜蜂は吸蜜不能におちいり、ついには餓死するおそれがあるからである。

 

関口氏は甘露蜜の蜂産物としての利用価値を記述し、井上氏は甘露蜜の特質と養蜂管理上の注意を記述したものといえます。井上氏が注意喚起した越冬蜜の結晶に関して、先日、前田京子『はちみつ日和―花とミツバチと太陽がくれた薬』の投稿にドイツのメルヒャー華代子さんが以下のようにコメントされていました。“甘露を出す虫の種類により、巣に入れた蜜が固まってしまう性質の甘露蜜もあって、その虫が大量発生した年は大変でした ”

 

井上氏は蜜蜂飼育法の研究を主眼として、名古屋に養蜂研究所を開設し、『新しい蜜蜂の飼い方』(泰文館、1959)を出版します。巻末の「附表5養蜂用語の読み方」の中に“甘露蜜(かんろみつ)”があります。

 

 

 

渡辺 孝『 ハチミツの百科 』(真珠書院、1969

(右は平成15年(2003)に出た新装版)

 

本書は井上丹治『蜜源植物綜説:養蜂必携』の出版から15年後の出版です。徳田義信氏から関口喜一氏、井上丹治氏と継承され、深められつつあった甘露蜜に関する研究と記述は渡辺孝氏によって逆戻りすることとなります。Ⅴ章ハチミツのいろいろ、の最後のくだり75頁に、こんな記述があります。

 

“変わりダネはアブラムシの分泌する甘い体液からとれる一種のハチミツです。アブラムシといってももちろんゴキブリのことではありません。針葉樹などに寄生する小さな昆虫で、多数集団的に樹の幹や枝にむらがりくっついて樹液を吸い、甘い液体を分泌します。これをミツバチが集めたもののことを甘露蜜Honeydew honeyといいます。厳密にいえば、これはハチミツではありませんが、ドイツやオランダなどのゲルマン諸国では、どうしたものかこの甘露蜜が非常に喜ばれ、奇妙なことにクローバー蜜などよりも上位にランクされています。ドイツでモミのハチミツ(タンネン・ホーニッヒTannenhonig)といえば、ボダイジュ蜜やエリカ蜜と肩を並べる最高級のハチミツですが、実はこれはモミの花からとれたハチミツではなく、モミなどの針葉樹に寄生するアブラムシが分泌した体液をミツバチが集めた甘露蜜のことなのです。しかしこれはヨーロッパだけの話で、日本では甘露蜜はごくまれにしかとれませんし、たといとれても、市販されることなく、ミツバチのエサに転用されるのがふつうです。“

 

92頁にも同様な記述があり、平成2年(1990)出版の『ミツバチ万華鏡』でも5354頁、136138頁でも同様なことが記述されていいます。

 

渡辺氏は昭和53年(1979)出版の『先師蜂友』の中で徳田義信氏、関口喜一氏を尊敬する師匠としていますが、甘露蜜に関しては徳田氏、関口氏の研究の継承ではなく別の持論を主張し続けます。昭和44年(1969)制定の公正競争規約は渡辺氏の持論に沿った形で甘露蜜はハチミツに含まれません。この状態は2019年まで50年間も続くことになります。

 

 

 

岡田一次『ミツバチの科学』(玉川大学出版部、1975

 

養蜂書といえばミツバチの飼い方の本、飼育書です。明治期以降150冊以上と数は多いですが、先行書のほぼ書き写しと自らの飼育経験とで記述されることも多かったといえます。潮流が変わったのは昭和50年代からです。ミツバチが科学され、養蜂が科学されるようになりました。

 

昭和28年(1953)にカール・フォン・フリッシュ『蜜蜂の不思議』が翻訳出版されていましたが、昭和50年(1975)に『ミツバチの生活から』が、

昭和54年(1979)には『ミツバチとの対話』が、昭和56年(1981)にはM・メーテルリンク『蜜蜂の生活』が相次いで翻訳出版されました。

 

昭和50年(1975)に岡田一次先生が『ミツバチの科学』を、昭和56年(1981)には『畜産昆虫学』を出版されました、経験や先行飼育書の書き写しが主流であった日本の養蜂界に、学問として海外の文献や論文を参照した研究成果が還元されるようになりました。甘露蜜(honeydew honey)に関する記述も断片的ではありますが、見られるようになります。

 

105頁に以下のような記述があります。 “北欧のドイツ、スイス、オーストリアなどの諸国ではモミ林が多く、この枝にアリマキが群棲する。この虫は尾端から糖液を盛んに分泌するので、ミツバチはそれを飲んで巣べやに貯える。これは甘露蜜(Honeydew)と呼ばれ、収穫量も割合多く、古くから市販品もある。甘露蜜は花蜜を原料とするハチ蜜とは異質であるが、これもハチ蜜に含められている。”

 

107頁にハチミツの定義に関してWHOのヨーロッパ規格についての言及がありますので、“これもハチ蜜に含められている。”は海外状況ですね、昭和44年に制定された甘露蜜を含まない国内の公正競争規格に関しては、“国内事情を考慮した規格”と言及されています。本書は公正競争規格制定から6年後の出版なので、当時の海外と国内の甘露蜜の扱いの違いが良くわかります。

 

用語ですが、一般的には昆虫由来の糖液が甘露(honeydew)、それをミツバチが巣房に貯えたものが甘露蜜(honeydew honey)ですね。 

 

 

 

坂本与市・岡田一次編著『畜産昆虫学』(文永堂出版、1981

 

209288頁がミツバチ編で、松香光夫先生が執筆担当されておられます。269頁に次のような記述があります。

“ミツバチが動植物体から分泌する甘味物質を集め、巣に貯えたものが、ハチ蜜である。アリマキの分泌液からなる甘露蜜(honeydew honey)は、日本では生産されていないので、解説を省く。”

 

33年後の、農山漁村文化協会編『地域食材大百科第13巻』(農山漁村文化協会、2014)の「はちみつ」(339465頁)松香光夫先生が執筆担当されておられます。444頁に甘露蜜が消費者に受け入れられている様子が次のように記述されています。

 

甘露蜜:針葉樹は、蜜を出す花を咲かせないが、ある種のアブラムシが寄生・吸汁して、甘い蜜(甘露)を外分泌し、ミツバチはこれを集めて花蜜と同様に処理し、はちみつとして蓄える。これを甘露蜜(Honeydew honey)と称する。日本では市場に流通するのは稀であるが、「森の蜜」として紹介されることがある。

 

 

 

 

CiNii 雑誌 - 調理科学

 

論文:越後多嘉志「ハチミツの化学」、調理科学研究会『調理科学』(調理科学研究会、1993

 

「はじめに」の中に甘露(honeydew)と甘露蜜(honeydew honey)がでてきます。

“一般に花蜜(Nectar)とハチミツ(Honey)は混同しがちであるが、基本的に異なる。花蜜は花蜜腺から分泌する甘い液体、これを蜜蜂が吸いあげて巣に貯えたものがハチミツであり、ネクターハニーという。一方、主に北欧などのモミ林の枝に群棲しているアリマキなどの昆虫から分泌する甘い液体を甘露(Honeydew)といい、これを蜜蜂が吸って巣に貯えたものが、ハニデユーハニーであり、ネクターハニーとは区別されている。いずれもハチミツであることには変わりなく、化学成分組成にも大差はない。”

 

昭和50年代以降、ミツバチ・養蜂を科学する玉川大学の先生方が甘露蜜の情報発信に果たした役割は大きいと思います。

 

 

 

佐々木正己『 養蜂の科学 』(サイエンス、2008

 

108頁に次のように記述されています。

“ミツバチは花蜜や、ときに花外蜜腺蜜や甘露を集め、下咽頭腺などの外分泌腺から各種の酵素を加えてハチミツ特有の成分に変え、さらに水分を20%前後まで脱水してハチミツとする。”との記述があります。

110111頁の図52には以下のようなことがが記載されています。

 

1)ハチミツの主原料として「花蜜」と「アブラムシ、カイガラムシの甘露」がある。

2)ミツバチによる加工として、「α―グルコシダーゼによるショ糖の転化、グルコースオキシダーゼその他諸種の酵素作用、脱水濃縮」がある。

 

本書は、日本の養蜂出版が飼育の書から科学する書に流れが変わった、まさにその通りの書名、『養蜂の科学』です。甘露蜜に関しての記述は徳田義信氏ら歴代の日本の記述の影響よりも、海外の文献研究からの直接的な情報。研究成果を反映しておられると思われます。日本でも甘露蜜がちょっとですが居場所をあたえられたという印象を受けます。

 

 

 

佐々木正己『 蜂からみた花の世界 』(海遊舎、2010

 

20頁に次のような記述があります。

“モミやトウヒにはしばしば大形のアブラムシが付くことがあり、かなりの甘露を出すので、日本でもミツバチが利用しているに違いない。たとえばドイツではこれら「甘露蜜」は有名で、一般のハチ蜜より高級品として愛用されている。多量にとれないので貴重品。さらに、「甘露蜜」として山田養蜂場のブルガリア産の甘露蜜の商品写真と、”成分も風味も個性的だ。“ とのコメントがあります。

 

日本の養蜂界で甘露蜜につての数少ない情報発信者の中河原親一氏、関口喜一氏、井上丹治氏、が偶然にも(?)3人とも蜜源の研究者でしたが、佐々木先生も蜜源研究者です。4人目です。偶然でしょうか、それとも蜜源研究の必然なのでしょうか。

 

 

 

ギルバート・ワルドバウアー『虫と文化』屋代通子訳(筑地書館、2012

(情報提供=真貝理香)

 

195196頁に次のようにあります。

“ツノゼミ、ヨコバイ、アブラムシやその仲間は、鋭い口吻で植物の篩部を流れる樹液を吸う。篩部は葉で合成された糖などの栄養分を貯蔵庫である根に送っている。圧が低いため、樹液は吸うまでもなく昆虫の口吻に無理やり流れ込んでくる。(中略)篩部の樹液は主に水で、糖分は豊富だがそのほかの栄養素はほとんど含まれない。そのためあまりふくまれていないタンパク質やビタミンをできるだけとろうとして、アブラムシやツノゼミは必要以上に水分を接取するので、通常、糖が過剰になる。そこで彼らは糖を排出するのだが、この排泄物は要するに糖の溶液であって、そこから甘露の名がついた。樹液を吸う昆虫の多くは、毎日自分の体重の何倍にもなる甘露を出す。ミツバチは甘露を集めて、ハチミツに加える。(後略)

“篩部”は文献によっては“師部”と表記されています。 葉から根への栄養分の通路“篩部”は“篩管”と“組織”からなるそうです。根で吸収された水の葉への通路は“木部”というそうです。

 

“圧が低いため、樹液は吸うまでもなく昆虫の口吻に無理やり流れ込んでくる。” は “篩部には低い圧があるため、樹液は吸うまでもなく昆虫の口吻に無理やり流れ込んでくる。”という意味ですね。甘露の生成される仕組みが丁寧に説明されていて良く分かります! Youtubeに「甘露が流れ落ちる動画」 があります。

https://www.youtube.com/watch?v=8nxeJlJqJjE

 (貝瀬収一、2022/12/03フェイスブック「甘露蜜源を探そう会」への投稿より

 

 

 

フォーガス・チャドウィックほか『ミツバチの教科書』(エクスナレッジ、2017

 

47頁に木製はちみつスプーンから垂れた甘露蜜の写真と“甘露蜜―アブラムシなど樹液を吸う昆虫が排泄する「甘露」という甘い液体をミツバチが集めて作る蜂蜜です。とても強い香りと酸味が特徴です。”とのコメントがあります。翻訳を伊藤伸子さん、日本語版監修を中村純先生がされています。

 

この頃から“甘露蜜”は「養蜂・ミツバチ書」のテーマというより消費者が先導する「はちみつ本」のテーマとなったといえます。

 

 

 

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